2014年03月27日

明治民法、草案理由など書き起こし。(法務委員会 参考人質疑より)

仁比聡平(日本共産党)
明治民法制定の過程を振り返りますと、民法草案に現法民法のような相続分の婚外子に対する差別規定は存在しなかった。そこにはどんな歴史的経過があるのか。その後、明治民法に婚外子差別規定が盛り込まれたのはなぜなのか?

(参考人 立命館大学法学部教授 法学博士 二宮周平)
民法草案理由1888年(明治21年)つくられています。
当時、日本が近代化してくために民法が必要であるということで、法定の編纂作業に入っております。明治6年以降からその作業が進んでおります。日本政府はボアソナード、当時パリ大学の法学部長であったボアソナード教授を招へいしまして、彼が講義をして、それを日本人の人が学びながら、自分たちで法案をつくって
まいりました。

そのときの草案理由では次のように述べられいます。

欧州各国が庶出子(婚外子)の相続権を正出子に見比べて、僅少にしたのは、父母の不行跡を戒ましむるの趣意に他ならざらぬるべし、しかし、我が新法では、これを取らない。何故なら、その父母に憎むとこありといえども、庶出子は、業の関わり知らずところなり。その父母を戒めんとほっして、その罰を罪なき庶出子のおぼよす理由かつてあらざるものとしこうせしを持ってない。

先ほど、自民党議員(山下雄平)が言ってたように、親の罪を子供にかぶせるというのは、ゆるされないと、こういう一種のヒューマニズムがあったかことかと思います。
これを元に1890年に作られました。旧民法と言われてますが、そこでは遺産相続については、子供の区別はありません。皆、同じ相続分になっております。

ところが、この旧民法に対しては、特に親族相続編について、日本の醇風美俗には反するのではないのか、そういう議論がありまして、『民法出でて忠孝滅ぶ』という有名な言い方がされます。その結果、この旧民法は施行延期になり、再度民法の作り直しがされました。で、出来上がったのが、1898年のいわゆる明治民法と言われるものです。

その明治民法をつくる課程では、二つの特色がありました。

1つは遺産相続というものです。
家督相続が基本にあるんですが、長男の推定家督相続人。
跡継ぎではない人でも、財産を稼ぐことがありますので、そういう人たちの相続、遺産相続について、明治民法では、婚外子は婚内子の2分の1という定めがなされます。提案者の穂積のぶしげは、次のように言っています。

『法律が婚姻というのを認めて、親族関係というものは婚姻が一番相当なる親族関係の元としました以上、嫡出子というものが、その父母のあとを財産を継ぐという点についても本則とみるのが当たり前でありますから、それ故に嫡出子と庶子との分量を違えたのであります。必ず半分でならなきゃならないのは、道義上の標準ではないのであります。』

穂積議員も、ここでいう妻から生まれたこともでないことではなくて、跡取りではない子を庶子と言っていた。今の嫡出子と嫡出子でないことは違うのですけれど

これが2分の一だったんで2分の一にしたことを言っている。ですから、婚姻の尊重ということは、穂積議員もおっしゃっておるんですけれど、しかし、家督相続の規定をみますと、どうなっているかというと。嫡出男子が第一順位の推定家督相続人。長男次男三男序列がつきます。次は、庶子の男子。婚姻外で生まれた子供。父親が認知、家の戸籍に入籍された子。三番目が嫡出の女子です。婚姻を尊重では、婚姻の女子の方が男子よりも優先しなければ、筋は通りません。でも、そういう立て方ではなりませんでした。
家制度を維持するためには、当時は男尊女卑でしたので、男系を優先すると、こういう理屈であったわけです。

したがって、婚外子の相続分差別は、当時は確かに婚姻の尊重という文言はでてきますけれども、それよりも、基本は家の維持にあったと、家の維持のために子供を利用してきた。というと言い過ぎかもしれませんが、わたくしにはそのように思えてなりません。歴史的経過は以上であります。


仁比議員)最高裁「子にはなんの責任はないではないか。」という考え方が、根本にはあったと、ところが婚姻の尊重ためというよりも、家督相続がより重要な目的として。旧民法の制定にいたったと。

(書き起こしここまで)
今、伝統的家族制度など言われていることとは、明治民法発足時の当時とは違うものであったのだと思います。当時の議員の方々もまた、ご苦労があったことも感じます。

書き起こしてはいたのですが、記事にするのをすっかり忘れておりました。(汗)

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2014年02月27日

衆議院法務委員会 2月21日 谷垣法務大臣の民俗学者・柳田国男への言及抜粋

2014年2月21日 (金) 会議名 : 法務委員会 衆議院インターネット審議中継 より抜粋
高橋みほ議員への答弁にて。5:01:45すぎ
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=43554&media_type=fp

谷垣法務大臣)わたくし、ひとつ思い出したことがございまして、わたくしは1945年、昭和20年の生まれでございます。

前の戦争で日本が負けたわけですね。その敗戦のあと日本社会のなかでは、なぜ自分たちは負けたんだろうと、いうような深刻な反省がおきまして、社会科という学校の科目ができたのは、そういう反省の中からだというふうに伺っております。
それを一生懸命おやりになったのは、民俗学者、柳田国男先生でやっぱり主権者としての教育が足らなかったんだと、いう反省をされたようです。それで柳田国男先生自身が小学校の1年生から6年生までの社会科の教科書ですね。一生懸命、ちょっと古いことですから、間違いがあるかもしれませんがそういうふうにわたくしは、記憶しております。

それで法教育にはいろんな意義がございますが、そういう主権者としての教育といいますか、公民教育のなかでいろんなことがありますが、この法教育、そしてどうやったら自分たちの手で問題点を解決していけるか、紛争を解決していけるか、そうして安心して住める街を築いていけるかというようなことは、まさに主権者教育の一番、核となるのではないのかなぁというふうに思います。

ただ、ひとつ、わたくしそう言いながら自戒しておりますのは、わたくし閣僚なんかやりますとね。どの閣僚をやっても教育が大事だなと思うんですよね。たとえば、財務大臣やってたときは、租税教育は大事だと、こう思いまして、文科省にいきまして文部大臣に、ぜひ租税教育をしっかりやってくれと。だけどまっ苦しいときの教育頼みっちゅうんじゃ、やっぱりしかたがないなぁと思います。

今、京都の法教育推進プロジェクトというのをお触れ頂きました。これは確かに相当な成果をあげたものでございまして、わたくしの地元の公立高校でもこのプロジェクトに参加しております。それで、これは平成22年度から2年間行ったものでございますが、平成24年度からは岐阜において京都と同様のプロジェクトを今実施している最中でございます。この辺の成果を見ながらですね。これにとどめずに、実をあげるようにいろいろ取り組みを考えて参りたいと思っております。


高橋みほ議員)有難うございました。いまのあの社会科の授業がどういうふうに始まったかというのはとても勉強させて頂きました。それで私が今伺って凄くうれしかったというのは、主権者としての教育というものの大事さをふれて頂いたことが凄く嬉しかったです。(続く)

岐阜法教育推進プロジェクト どういうことをされているか詳しく日程と共に載ってます。
http://www.houkyouiku.jp/gif_pt2012/

そのほか、法務委員会 2013年11月8日『(谷垣法務大臣)例えば、柳田国男先生の家閑談とか婚姻の話を読みますと、要するに、民法に規定した婚姻のあり方と違う、もっと昔の日本の婚姻のあり方が、いろいろ記述してございます』との言及あり。
明治民法以降の日本の婚姻の一考にも。西田譲(ゆずる)議員に対する谷垣法務大臣答弁より。ほか、「裁判官の配偶者同行休業に関する法律」について。 http://bluesketch.seesaa.net/article/379766918.html

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2013年11月09日

明治民法以降の日本の婚姻の一考にも。西田譲(ゆずる)議員に対する谷垣法務大臣答弁より。ほか、「裁判官の配偶者同行休業に関する法律」について。

tanikokkai.jpeg

11月8日 衆議院 法務委員会 動画はこちら。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=43167&media_type=fp

西田譲衆議院議員(維新)への答弁。

あの、いろいろなんていうでしょうか。
お考えになったこの御開陳がありました。
大変、わたくしも参考になりました。

この場はあまり個人的なことを申し上げる場ではございませんけれども、あえて申し上げますと、わたくしは昭和20年の生まれでございます。
ちょうど終戦の年ですね。
それで、わたくしの父と母はですね。
わたくしが、両親から聞いてこの日に、結婚したんだと聞いてる日と、戸籍上の届けでは、大きく食い違っております。
なぜ、食い違っているのか。
わたくしの母は、女ばかりの三人兄弟の長女でございました。
家制度の元では(語気強め)、家督を相続しなければならない者が、わたくしの父の家の戸籍に入るためには、
あの、ここはわたくし正確ではございません。(語尾強め)
おそらく、当時は裁判所の許可を得ることが必要だった。
事実上結婚式をあげて、周囲にもこれは正式の夫婦であると、認めてもらっていたが、その、実際と届け出をするまでには相当その裁判所の許可を得る基幹がございました。

ですから、先ほど、そういうなかで事実婚。ですから、わたくしの父と母も前半は事実婚であった。そこが届け出までは。
おそらくそういう、家制度のですね。いろいろな、家族制度、戦前の民法の家族制度のなかで、そういった問題が、いろいろあったんだろうと思います。
そういうなかで、それは、事実婚であって、本来の法律婚ではないといって切り捨てられない事情が、わたくしは両親の例からみまして、あったんだろうと思います。

それが例えば、(当時の)健康保険であったり、そのほかの社会保障制度においてもですね。
そういうものを保護する制度をつくっていかなければならないということが、あったのではないかと思います。

それから、もう一つ例を挙げますと、いろいろ御本をお挙げになりますね。
わたしも例を挙げますと、例えば、柳田国男先生の家閑談とか婚姻の話を読みますと、要するに、民法に規定した婚姻のあり方と違う、もっと昔の日本の婚姻のあり方が、いろいろ記述してございます。

そこで明治民法で、法律上の登録等、結婚の届け出というものが必要な制度をつくったわけでございますが、従前の日本のその婚姻のあり方からみると、それをわざわざ役所に届けなきゃならないということがなかなか、浸透しなかった。
だから、事実婚は当初はたくさんあったけれども、しかし、それは日本社会の今までの経緯から、歴史からみますと、当然、夫婦と認めてしかるべきものであった。そういうものは保護しなければならない。
これはもうあの、判例法の発達で有名な事例でございますが、そういう家制度とのいろんな関係というものが、わたくしはあったんではないかと思います。

そういうことの結果として、事実婚といってもその放埓(ほうらつ)なものを認めようとういわけでは、必ずしもなかった。やはり、事実婚というものは、社会のなかの必要性で、認める必要のあったものが、段々拡充してきたというのがあったのではないかと、ちょっとあの、わたくしの法務大臣として、直接お答えできないんですが、わたくしの個人的な、あのなんていうんですか、体験もふまえて申し上げた次第でございます。

西田議員(有難うございます。たぶん私の質問でいちばん、今までの中で、どうぞどうぞ)

今、一つ申し上げますと、それで婚姻の成立要件として民法が採用している
届け出主義と必ずしも矛盾するものではないということも、今回の法律でですね。
わたくし申し添えておかなければならないのじゃないかと思います。

西田議員(時間が参りました。あの大臣、これまでの私の質問のなかで、いちばん長い時間をつかって
(周りの笑いが入るw)答弁を頂いたことを、本当にうれしく思います。この問題は、
時間が参りましたので、もう終わますけども、これから今まさしく、来週、閣議決定かと
うかがっておりますが、今回の民法改正違憲判決を受けて与野党共に、わが党ともそうですが、
大きな議論となって、改めて考えなおされてる問題でございます。しっかりとですね、
来週もまた、この問題について議論を続けたいと思いますので、どうぞよろしくお願い
申し上げます)

ガッ研でも書き起こしアップしています。そちらもぜひ。
ちなみに「家督制度」が廃止され現行の家族法が成立したのは昭和22年12月22日 (抜粋)
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/asia/1359373167/868-869 

柳田国男 家閑談ではないんですが、国会図書館デジタルライブラリーより。
郷土生活の研究法(1935年出版) 10.婚姻 
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453392/122
本文はこちら。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453392/123
初期は婿入り通い婚で、男の母親が隠居、あるいはへこたれるか(オイw)して輿入れ(と、これは羨ましいことでは!)『ところが近年になつて遠方との縁組が行はれるやうになつたが、これは戦國時代このかたの武士の風習が、次第に田舎の農民の間にも入つて来たもので、しかもこの傾向が殊に著しくなつたのは極く新しいことで、恐らくはまだ百五十年を出ないくらいだと思ふ。』
部落内で婚姻が行われていたころは、若い衆が婚姻について管理していたそうな。

まだ150年も出ないくらい。
柳田国男の言葉を借りれば、今、語られる伝統的家族観もまた長い歴史から考えると極新しい価値観だとも思えてきます。

椎名毅議員(みんなの党)
(おはようございます。みんなの党の椎名毅でございます。今のあの哲学的な質問と哲学的なご答弁、のあとに、非常にやりにくさを感じまし(回りからまたもや笑いが入るw)すけれども、
頑張って参りたいと思います。)と、椎名議員の『裁判官同行休業に関する法律案』質疑に続きます。

実は、『裁判官の配偶者同行休業に関する法律案』の質疑日だったりしますw
(理由)職業生活と家庭生活との両立が図られるようにするため、
裁判官が外国で勤務等をする配偶者と生活を共にするための休業に関する制度を設ける必要がある。
これが、この法律案を提出する理由である。

椎名毅議員
こういった同行休業といった制度を設けることそれ自体は非常にいいことなんだと
思います。現実的な使い勝手、それは、今後の運用次第かなと思っていますので、
ぜひですね。こういった制度を積極的に活用するような形にですね。運用していって
頂き、かつ、こういった制度を民間企業に広めるためにもですね。
広めるために、ぜひ、政府をあげて頑張っていって頂ければというふうに思います。

椎名議員のこの発言も大事かと。

法務省 概要・法律などPDFにて。 
http://www.moj.go.jp/housei/shihouseido/housei10_00043.html
衆議院「裁判官の配偶者同行休業に関する法律」
http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g18505012.htm

(女性)裁判官に対してよりよき法案運営になることを祈ってます。

posted by ぶるー at 14:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 法務委員会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする